2023/05/11 18:10


今回は紙の良さとはなにかについて書いていきたい。語り尽くされたありふれたテーマなのかもしれないが、紙を扱うものづくりをし、紙工作家と名乗っている者として避けては通れない問だと勝手に思っている。この文章では社会的に認知されているであろう紙のよさや、原研哉さんが述べられている紙の良さを踏まえながら、私の考える紙の良さについて書いていきたい。



【メディア媒体としての紙の長所・短所】
問いを直接的に考える前にまず、そもそもみんなは「紙の良さ」と一言にいうとなにを思い浮かべるのだろう?という疑問が浮かんだ。「紙の良さ」と、検索窓に入れて調べると、すぐに出てくるものはメディア媒体として良さについて書かれたものが多い。調べるとすぐに出てくることでもあるが、ここでは少しだけまとめて触れておきたい。他のブログからのほぼ転載になるが、良くないところと合わせて掲載する。詳細が気になる方は引用元を参照して頂きたい。


「メディア媒体としての紙の良さ」
・デジタルが苦手、機器を持ってない人にも情報を届けられる。
・視認性、可読性、一覧性を確保しやすい。
・記憶に残りやすい。
・手元に残ることで、繰り返し読んでもらえる。

「メディア媒体としての紙の良くないところ」
・新しい情報を即座に届けにくい。
・修正が難しい。
・掲載情報に限りがある。
・リーチできるエリア、ターゲットに限りがある。

引用 
CCG HONANDO「紙媒体だからこそできること。メリット・デメリット、今後の展望とは?」
株式会社ゼンリンプリンテックス「紙媒体とは?紙媒体の種類や効果などメリット6選からデメリットまで、紙媒体だから出来る事を解説」
HOKUTOSHA「令和版!なぜいまこそ紙なのか?紙が消えない5つの理由」


メディア媒体としての紙の良さについては様々なところで取り上げられているので、私から特に言うことはないし、本当にその通りだと思う。一つだけ例を出すと、最近ではヨルシカさんが音楽画集として「幻燈」というアルバムを発売したことが印象的だった。あれこそまさにデジタルにはない、紙だからこそできるメディア表現なのではないかと思う。五感に訴えかける力、永く手元に置いておきたいと思わせる力がある。紙は情報を運び、それを彩る器なのだ。そうした機能として紙が完全になくなることはないと思う。

私自身、紙はもちろん好きだが、なんでもかんでも紙がいいと思っているわけではもちろんない。上述のようにそれぞれの良さがあるわけで、適宜使い分けていけばいい。それにむやみやたらに紙を使うのは資源の無駄遣いであり、地球環境の破壊につながる行為で、「適切な量」にコントロールしていけばいい思う。今使われている紙は持続可能な資源を使い、再生紙も活用しながら環境破壊のないようシステムとして充分に工夫されているが(注1)、無駄遣いをしないに越したことはない。紙を作る過程や印刷をする過程で電気や水といったエネルギーは使うことになるからだ。資源は使わないに越したことはなく、総量規制が大事だ。ただ、こんな話をしていくと、「ものづくりも環境を汚す行為なのではないか」という考えも浮かんできてしまうのではあるが、話が逸れてしまうのでここの葛藤についてはまた別の機会に書く。

(注1)
日本製紙株式会社「紙が増えると森はどうなる?よくある誤解にお答えします」



【梱包資材としての紙の長所・短所】
調べてみてメディア媒体として語られる紙の良さについて語られているものがほとんどであったが、その次に目にしたのは梱包資材としてであった。梱包資材としての紙の良し悪しも同じようにまとめてみたい。

「梱包資材としての紙の良さ」
・断熱性。加熱、冷凍に強い。
・加工性。折加工がしやすい。
・印刷適正。様々な印刷表現ができる。

「梱包資材としての紙の良くないところ」
・水に弱い。湿度によって伸縮する。
・燃えやすい。
・折れると戻らない。

引用
第一包装資材株式会社「紙を包装資材として使うメリット・デメリットを解説!売れるデザインも紹介します」
株式会社PALTEK「梱包材に「紙」を使うメリット」


ちなみに、紙の需要は全体として見ると減っているが、梱包資材としての紙の需要は増えており、これかも増えていくものと予想されている。オンラインでの商取引が増えたこともあるが、持続可能な包装材に対する消費者の意識の高まりも要因の一つとして挙げられている。

引用
PRTIMES「紙・板紙パッケージの市場規模、2026年に2,545億米ドル到達予測」



【原研哉さんにみる紙という物質そのものの良さ】
メディア媒体として、梱包資材としての紙の良さを書いたが、さて、これで紙の良さについて網羅したことになるだろうか。私としては、まだ不十分ではないかと思う。
なぜなら、「紙そのものの良さ」については述べられてはいないからだ。紙のもの、物質そのものの比較論はされていない。ここまではあくまで「紙を使ってどうするか、どうなるか」という機能という観点からの良しあしについて語られている。最終的な目的として見られているのは紙の上に載せられている情報の伝達や中身の物を運搬するという行為なのだ。今回の文章でわたしは、そういった側面を排除して、純粋に紙という物質そのものにどのような良さがあるか、ということをみていきたいのである。

ただ、この紙そのものの良さについて述べている人は本当にいないのだろうか?Web上では見つけきらなかったが、グラフィックデザイナーの原研哉さんの著書に紙そのものの良さについて書かれている箇所があったので、そちらを引用して皆さんに紹介したい。


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紙の触発力は、第一にはその「白さ」においてであり、さらにはその「張り」においてである。中略。白く、そして張りがあるということは、逆に言えば汚れやすくこわれやすい、きわめて華奢な存在である。 このたおやかなる薄く白い張りの上に、人間は「墨」で黒々と文字や絵を描いたのである。それは決して後戻りのできない不可逆性への跳躍であり、未発なるものが明晰に成就していく瞬間を次々と自覚する手応えの連続であったはずだ。中略。紙の触発力によって、言葉や図を記し、活字を編んでいく能動性が、人間の感覚の内にもたらされた。覚悟も、決意も、振る舞いも、所作も、永遠や刹那に対する感受性も、人間は紙に躾けられてきたのだ。それは今日においてなお続いている。

引用 「日本のデザイン 美意識が作る未来」原研哉


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人間が思考を表出させていく過程において、紙との接触は非常に重要なものだった。 それは単に文字を書き記すことではなくて、頭の中から、 するするとまっさらな状態のものに、 何かを取り出して置いていくというイマジネーションとして現れたわけです。 だからまず 「白い」ことが大切だった。 紙の本質は「白さ」 と 「張り」 だと僕は言っているのですが、白って自然の中にはあまりないんですよ。 たいていはアースカラーと呼ばれるベージュ系。 土や樹木の色もよく見るとそうです。 その特別な白い枚葉に取り返しのつかない痕跡を残し続けるイメージは、 人間にとって相当にセンセーショナルだったはずです。 それはローマ人にとっての建築と同じように、 人類史の中でもかなり大きな目覚めやイメージの屹立を促したと言ってもいいくらいの。

引用 「SUBTLE サトル かすかな、ほんのわずかの」株式会社竹尾=編 原研哉+日本デザインセンター原デザイン研究所=企画・構成


以上から読みとれるように、原研哉さんは紙の本質は「白さ」と「張り」だと述べられている。無垢で純粋さをイメージさせる白があり、それを増幅する張り、後戻りできない緊張感が私たちの感性、創造性が発揮される基になるのではないだろうか。

そう、紙というのはメディア媒体や包装資材においてみられる機能的価値のみならず、原研哉さんも言うように、紙そのものの良さとして、人の感性を起動させる、豊かにするという価値もあると思う。感性を刺激するという側面をクローズアップして、紙という物質そのものの良さについて書いていきたい。原研哉さんの後にわたしの考えを書くのはなんとも恐縮だが。。



【いつきの考える紙という物質そのものの良さ】
さて、前置きが長くなってしまったが、わたしの考える紙そのものの良さは大きく2つ。
まずひとつは色、そして肌触り。

「色」
紙だからこそ醸し出せる色合いがある。原研哉さんは紙の本質のひとつに白さを取り上げられていた。たしかに紙の持つ「白」は、他のマテリアルから醸し出される白とはまた違う白だ。プラスチックの白、陶器の白、木材の白、革に塗装された白、金属に塗装された白などなど、これらの白から受ける印象とはまた明確に違う。
ただ私は白以外の色であっても紙は同様に違いを生み出せると思っている。今、市場には多種多様な色と風合いの違いを持つ紙が販売されている。わたしが作品でよく使っているカラープランという銘柄には55色の展開があり、青だけで7色も取り揃えている。(注2)カラーペーパーの代表的な銘柄であるタントにいたっては全200色もの展開がある。(注3)全ての色を見本帳で見ているとグラデーションが本当に美しい。
紙の専門商社である竹尾のお店には様々なカラーペーパーが取り揃えられており、1枚1枚取り出してじっくり観察すると、色合いも凹凸も風合いも全く違い、紙それぞれの個性に驚かされる。銘柄それぞれに哲学があり、人々の叡智、結集された感性、磨かれたセンスが詰まっている。「あなたの感想ですよね」と言われればそれまでだが、少なくとも私にはそう感じずにはいられない。色のある紙を見ていると、白い紙に印刷された色とはまた違う奥深さがある。赤であれば、芯から、奥底から赤い。軽薄な、チープな印象はない。紙ならではの落ち着き、やさしさ、上品さ、凛とした美しさをたたえている。これは他のマテリアルにはない特徴なのではないだろうか。

(注2)
株式会社竹尾 カラープラン-FS
minneとものづくりと「【竹尾連載】紙のはなし第3回:「カラープラン-FS」」
(注3)
株式会社竹尾 タント


「肌触り」
前項で少しふれたが、紙の凹凸、風合いがもたらすのがこの肌触りである。紙の銘柄によって凹凸の度合いや、凹凸そのものの種類が微妙に違う。ゆえに触り心地も全く異なる。わたしたちは、微妙な違いを読みとろうとすることで感性がより鋭敏になる。
これは完全に主観的な印象であるが、上質な紙に触れるとき、わたしは人肌に触れた感触が想起される。繊細な凹凸、キメの細かさだけでなく、見た目のやわらかな印象からもそういった過去体験が呼び起こされるのかもしれない。竹尾ペーパーショウの限定書籍の中で、イラストレーターのポールデイヴィスが「紙は官能的」と言っていたが、まさしくその通りだと思う。紙はセンシュアルかつ暖かみのあるマテリアルである。
主観的、感覚的な話に傾きすぎてしまったので、少し客観性のある話もさせて頂くと、実際に紙という物質は、他の物質から相対的にみて温かいのである。冬に金属やプラスチックに触れて冷たいということはあると思うが、紙の本を手にとって冷たいと感じることはないだろう。これは紙に空気が含まれていることが関係している。紙そのものの熱伝導率が0.06と鉄よりははるかに小さく、ガラス、木材よりも一ケタ小さく、空気と比べてもあまり変わらない。このために紙は温かく感じるのである。(注4)梱包資材としての紙の良さでみた断熱性というところもこれが関係している。

(注4)
紙への道「コラム(86) 「紙はなぜ」(6) 紙はなぜ温かく感じるのでしょうか?」


感触から受ける繊細さ、キメの細かさから感性を刺激されるのであるが、それを増幅させているのは原研哉さんも言われている「緊張感」である。紙は取り扱いを誤ると破れるのはもちろん、折れても元には戻らず、火に近づけると簡単に燃える。水や油にも弱い。ただ、そうしたわたしたちの記憶の中にある紙に対する認識が、より紙に対する繊細さを増幅させ、感性の刺激に繋がるのではないだろうか。弱い部分もあるからこそ大切にしなければ、という緊張感が働くのだ。暖かみも相まってそこにまた官能性があり、人間関係や人と人との触れ合いにおける侘しさ、切なさが連想される。紙だからこその触れて得られるものがあるはずだと私は思う。


【紙はその人の感性を映す】
もちろん、紙そのものに感性が含まれているわけではない。紙は確かに独自の豊かさがあるが、感性そのものはあくまでわたしたちの内側にある。今まで書いてきたのは私の感性をなんとかひねり出して言語化してみただけで、呼び起こされる感性は人によって違うだろう。あなたは紙に触れてどんな感情が沸き起こるだろうか。過去の体験が想起されるだろうか。前項で引用した書籍、SUBTLEの帯にはこう書かれている。


紙が繊細なのではない。
紙が揺り起こした人の感覚こそ繊細である。


人々の感覚を揺り起こすために結集された叡智が紙には詰まっている。紙には才能がある。そんな紙そのもの良さをそのままに感じて頂けるような、紙が主役である作品を作り続けていきたいと私は思っている。